女淫魔であるリルの身体は、男を悦ばせるためだけにあるようなものだ。同性の目から見てさえそのプロポーションはため息が出るほどに完璧で、それでいて肉感的な艶めかしさに溢れている。人の身で張り合おうなどという方が無謀だった。
それに比べれば妖精特有の美貌を持っている分、ナジャよりもShalの方が恵まれている。
リルさん
不意にShalはつぶやくと、立ち上がって拳を握りしめた。
リルさんは確か今日、ダンジョンにいましたよね?
ああ、そのはずだが
戸惑いつつも、ナジャは頷く。
Ol様に愛される秘訣を聞きに行ってきます!
あ、おい!
ナジャが止める間もなく、Shalは部屋を飛び出していった。
石造りの廊下を駆けて、目指すはリルの部屋。
失礼します!
え?な、何?
Shalがノックもなしに扉を開くと、人ならざりし絶世の美女はちょうどベッドに寝転がって本を読んでいるところだった。辺りには紙屑や脱ぎ散らかした衣類が散乱していて、とても美女の部屋とは思えない。
明らかに、Olの目がないせいでだらけきり、油断しきった女の姿がそこにはあった。
失礼しました
Shalは無表情で、パタンと扉を閉める。
え、何!?なんなのよー!?
部屋の中から、困惑したリルの声が木霊した。
それでなぜ、私の元に?
二種類の薬剤をくるくると混ぜあわせながら、表情もなく平坦な声でスピナは尋ねた。
社交的なリルやユニスと違って、スピナは殆どShal達と会話したことがない。
こうして頼ってくるのは意外だった。
リルさんはあんまり頼りになりそうにないですし、ユニスさんはOl様の護衛で出てていませんし
つまりは消去法か、とスピナは納得する。
それに、一番愛されているのはスピナさんじゃないかと思って
薬剤を混ぜていたスピナの手が、ピタリと止まった。
何故そう思うのですか
能面のような表情を変えぬまま、スピナは問う。
だって、リルさんはOl様が呼び出した悪魔ですし、ユニスさんは英雄です。どちらも、この迷宮になくてはならない方です。ですが、そのスピナさんは、失礼ですが
戦力としては不要故に、お師匠様から愛されているのかも知れない、と
カラカラと音を立てながら、スピナは更に幾つか薬剤を足して混ぜるのを再開する。
液薬がどんどん鮮やかなピンク色に染まっていくが大丈夫なのだろうか、とShalは少し心配になった。
仮にそうだとして、お師匠様から愛される方法を私が教えるとでも?
それもそうか、とShalは納得した。
Shal自身は、Olを独占しようなどと思ったことはない。
他の妻や愛妾達もそうだろう。
だがスピナだけは別な気がした。彼女の愛は傍目から見てもかなり重い。
Olの愛を自分だけのものにしたいと考えても不思議ではなかった。
そうですよね。すみませんでした
当たり前です。そんなそんな恥ずかしいこと、他人に言えるわけがないでしょう
真っ赤に染まった薬を混ぜながら、眉一つ動かさずにスピナはそう言った。
驚きに目を見開くShalに、逆にスピナの方が驚く。
恥ずかしいってライバルに塩を送るのが嫌だからじゃなくてですか?
ライバル?
スピナは不思議そうに首を傾げた。
他の人にOl様を取られたくない、って
どういう意味ですか
初めて、スピナが声色に感情らしきものを滲ませる。
不本意でならない、と言いたげな声だった。
取られるも何も、お師匠様は誰のものでもありません。所有されているのは、私の方。この髪一本から血の一滴に至るまで、私は全てお師匠様のものです
きっぱりと言い放つスピナの言葉に、Shalは目から鱗が落ちる思いだった。
スピナさん、ありがとうございます!
ぎゅっと己の手を握るShalを、スピナは奇妙な生き物を見るような目で見やる。
あたし、寵愛を受けたいばかりに一番大事なことを忘れてましたOl様に喜んでもらうのが第一と言うことを
それは、良かったですね?
Shalの反応に困惑しつつ、スピナは適当に頷いて調子を合わせる。
ですからっ
きらきらと瞳を輝かせながら、Shalはそんなスピナを見つめた。
一緒に考えましょうっ。どんなお誘い方をしたら、Ol様に喜んでもらえるか
いえ、結構です
心底嬉しそうに言うShalを、スピナはすっぱりと切り捨てる。
やっぱり基本的には淫語を織り交ぜた方がいいと思うんですよね!
あ、駄目だ、こいつも人の話を聞かないタイプだ。
金色の髪の幼女を思い浮かべながら、スピナは本能的にそう悟った。
完全に引いているスピナを全く気にすることなく、Shalは話を続けていく。
あたし達はプロポーションで不利ですから、全裸で迫るよりはチラリズム的な要素で勝負した方がいいと思うんですが
どうでも良いです
なるほど、どちらかに拘らず、どちらも使っていくべきなんですね!
誰か助けて。
スピナは生まれて初めて、そう願った。
7.紅髪翠眼の剣士達
はあぁっ!
裂帛の気合いと共に、ナジャは剣を上段に構えながら一直線にローガンへと駆けた。
防御のことは一切考えていない捨て身の突進を、ローガンは腕を振って迎撃する。丸太のような太い腕がナジャの身体を吹き飛ばす寸前、バチリと音が鳴って見えない壁に弾かれた。Shalが張った魔法障壁だ。
振り下ろされるナジャの一撃を、ローガンは身体を開いて辛うじてかわす。そこに、ウィキアの放った氷弾が迫った。ナジャの攻撃をかわして体勢を崩したローガンに、それを避けるすべはない。
彼が、人間であったなら、の話だが。
おっとっと、あぶねえあぶねえ
体勢を崩しても無駄ってわけね
そのままふわりと宙を舞って氷弾をかわすローガンに、ウィキアは舌打ちした。床を蹴ることなく自由自在に空を駆ける悪魔に、体勢など関係ない。だが直前までそれを感じさせない動きに、まんまと騙された形だ。
ウィキア、剣を!
ええっ!
ローガンが離れて出来た間合いを詰めながら、ナジャは剣を掲げる。ウィキアの杖から迸った光が剣に絡みついて、ナジャはそのまま刃を振るった。
うおっ!
大振りの一撃をかわそうとするローガンの背が、何かに当って止まる。Shalが張った障壁だと気づく頃には、どうしようもないほどナジャの剣が迫っていた。
舌打ちしつつ、ローガンは腕を一本犠牲にして剣を止める。
くっ
掌から肘までを切り裂いた刃はそこでピタリと止まり、ビクともしなくなる。ナジャはすぐさま剣を捨てて距離を取ろうとするが、それでも一瞬遅かった。
逃さねえよ
ローガンの太い腕がナジャの頭を掴み、軽々と持ち上げる。同時に、彼女の全身は真っ赤な炎に包まれた。
ナジャ!
ウィキアの悲鳴が木霊する。
その声に答えるように、ナジャはぐっと両手でローガンの腕を掴むと、彼の顎を思い切り蹴りあげた。
ぐえっ!
仰け反るローガンの手から逃れて剣を引き抜き、ナジャは両手でそれを掲げて跳躍する。
風よ!
力を!
ウィキアの放った風がナジャの身体を空高く飛ばし、Shalの魔術がナジャの腕に力を与える。
おおおおっ!
そして一刀のもとに、ローガンの首を刎ね飛ばした。
何とか勝ったか
地に降り立ち、荒い呼吸を整えながらナジャは地面を転がるローガンの首に振り向く。
いやいやいや
ローガンの身体がよたよたと首に近づいたかと思うと、ひょいと拾いあげて肩の上に乗せた。
どう考えても炎で包んだ時点で死亡判定だろが
ゴキゴキと首を鳴らしつつ腕を振れば、剣で裂かれた手がぴたりとくっついて元に戻る。
あの程度、Shalの防御魔術がかかっていれば耐えられる
実際の戦闘なら、火で息も止める。防御魔術なんざ関係ねえよ
ナジャとローガンが言い合っていると、パチパチと拍手の音が響いた。
お疲れ様、いい勝負だったね
声に目を向けると、いつの間にかユニスが訓練室の入り口に立っていた。
ユニス様。帰ってらしたんですか
うん、ついさっきね。ちょっと身体動かそうかと思って
ユニスがこの訓練室に顔をだすのは非常に珍しい。
でもナジャ達が使ってるんなら、また後にするよ
いえ、お待ちください
その好機を逃すまいと、ナジャは呼び止めた。
私達とお手合わせ願えませんか?
えーとうん、いいよ
ユニスは一瞬悩んだ後、こくりと頷く。
ありがとうございます。ウィキア、Shal、構わないか?
ええ。英雄と戦える機会なんてそうそうないもの
勿論、構いませんよ!
左右の二人に問えば、当然のように快諾が返ってきた。
では、お願いします
ええーと
部屋の中央で剣を構えてみせると、ユニスは少し困惑したように頬をかく。
三人で?
私一人の方がよろしいでしょうか?
いや、その、ね
ナジャの問いにユニスは困り果てたように眉を寄せて、視線を逸らす。
ローガンも入れて四人でも、大丈夫、かな
控えめに、しかしはっきりとした声で言うユニスに、ナジャ達は色めき立った。
英雄たるユニスに一対一で敵うとは思わないが、それでも皆その腕に依って生きてきた猛者である。しかも互いの強さは今の模擬戦で確かめ合ったばかりだ。流石に四人がかりで問題無いと言われるのは屈辱だった。
そこまで言われちゃあ引き下がれねえな。いいだろう、手を貸してやろうじゃねえか
ローガンもその気持ちは同様だったのだろう。ゴキゴキと拳を鳴らしながら、フォーメーションを組むナジャ達の後ろに立つ。
行くぞ!
先手を打ったのは、ナジャ達だった。地を這うように間合いを詰めて切り上げるナジャの頭上を飛びながら、ローガンはユニスを挟み込むかのように四本の腕を大きく広げる。上下左右、全方向からの一斉攻撃だ。
避けようのないはずのその攻撃が身体に触れる寸前、ユニスの身体は掻き消えた。ナジャの斬撃とローガンの爪が、虚空を切り裂く。彼女達がユニスの身体を目で追って振り向くよりも早く、ユニスは二人の間をすり抜けてウィキアに肉薄していた。
転移の魔術でも、特殊能力でもない。純粋な身のこなしの早さだけで、ユニスはナジャ達を出し抜いたのだ。
だが、ウィキアはそれを完全に読んでいた。前衛が二人、後衛が二人。この中で最も厄介なのは攻撃魔術を操るウィキアだ。早々に自分を潰しに来る事を予測し、彼女はそれに備えていた。
雷撃(ライトニング)!
ウィキアの手の平で雷球が浮かび、バチバチと音を立てながら矢のようにユニスへと伸びる。ユニスの体術は異常だが、文字通り雷速で動く稲妻の矢を避けられる程ではない。
そして生き物である以上、雷撃を受ければその動きは止まる。どれだけ魔術に抵抗があろうが、頑丈だろうが、その身体を動かしているのは微弱な電気の信号だ。雷撃はそれを麻痺させる。
そんな考えは、雷撃を無造作に片手で弾くユニスの前に霧散した。まるでゴミでも丸めるかのように稲妻を受け止め投げ捨てる姿に、ウィキアの思考は一瞬停止した。
とはいえ、そこで思考を続けていても結果は同じことだっただろう。ユニスは鞘の付いたままの剣でウィキアの後頭部を軽く殴りつけ、一撃で意識を奪う。
気絶して倒れるウィキアの身体をそっと抱きとめ、地面に寝かせたところで、ユニスの身体に魔力の縄がぐるりと巻き付いた。
対人緊縛(ホールド・パーソン)!
Shalの指から伸びた光の縄は、ユニスの腕ごと身体をぐるりと縛り付けている。無論英雄を縛り付けられるのはほんの一瞬だろうが、ナジャとローガンにはその一瞬で十分だ。
身体を縛られたユニスは剣で防ぐことも出来ず、足までぐるぐる巻になっているので走ることさえ出来ない。ユニスは足先に力を込めると、縛られたままナジャの方にぴょんと飛んだ。
ダメージを軽減するため、ローガンの攻撃は避けたか。そう思いつつも、ナジャはぐっと両腕に力を込めて剣を振りぬいた。
な!
ユニスは身体を捩り、ナジャに近づきながらも紙一重で剣を躱す。
いや、紙一重どころの話ではない。
魔力の縄はしっかりとユニスの身体を縛り、その間には紙一枚入らなかっただろうから。
なるほど、これ便利だね
ナジャの剣でShalの束縛を切り解いたユニスは、片手を掲げる。その指先から魔力の縄が五本飛び出し、ナジャの全身をぐるぐると縛った。どれだけ力を込めても縄はびくともせず、ユニスの真似を出来る気も全くしない。
ローガンには手加減要らないよね
動きを封じられたナジャを尻目に、ユニスは鞘から剣を抜いてにっこりと微笑む。
いや、ちょ、待っ
後退るローガンに、ユニスは遠慮なく斬りかかった。
まさか、あそこまで差があるとはな
訓練室の床に寝転びながら、ナジャはポツリとぼやく。