うん、うん、わかった、わかったから
いいえ、いつもあなたはそうやって適当に返事をして
思わず笑ってしまいそうになるリルを捕まえて、スピナは説教を始める。完璧に痕跡を消せたと思い込んだ彼女はすっかり安心し、するとにわかにリルに腹が立ってきたのだ。
一方で、リルは必死にスピナが隠していた事がおかしくもあり、可愛らしくもあり、まともに顔を直視できない。
真面目に聞いてるんですか!
はいはい、聞いてる聞いてる
それから小一時間ほど、リルは笑いを堪えながら怒られ続けるのだった。
2.魔王と魔婚約者
いやしかし、魔王陛下の王妃様がこれほど愛らしい方だとは思いませんでした
あら、夫の前で妻を口説くなんて、悪いお方ですこと
と、とんでもない。事実を述べたまでの事でして
クスクスと笑う少女に、商人は慌てて言い繕う。
真っ白なドレスに身を包み、まだどこかあどけなさの残る顔立ちは妖精のように麗しい。だがその気品はとても王位を簒奪したものの妃とは思えなかった。
では、税に関しては先ほどの率で良いな
そこに絶妙な間を持って告げる魔王もまた、その称号に相応しいだけの威厳を備えている。どう見ても二十代前半の若者。商人の半分程度しか生きていないというのに、その落ち着きようといい、目の鋭さといい、遥か目上としか思えない威圧感だった。
は、はっ
今のやりとり一つとってもそうだ。本当ならば、もっとこちらに都合のいい値で交渉を終わらせたかった。御しやすそうな王妃から崩していこうと声をかけてみれば見事に切り返されてこのざまだ。
では、本日は大変良い勉強をさせて頂きました
本心からそう告げて、丁重に城を辞する。武力で王位を奪った野蛮人など、舌先三寸でどうにでもなるだろう。絞れるだけ絞りとってしまえば良い城を訪れた時に抱いていたそんな思いは、今や完全に霧散していた。
提示された税率も、こちらが納得できるギリギリの額だ。政治に関しては前王よりもよほど聡いのではないか。少なくともこの国を潰して甘い汁を吸うだけ吸ってやろう、というような意図は全く感じられなかった。
もしかしたらこの腐敗しきった国は、魔王によってまともになるのかもしれない。
いや、それは楽観しすぎだ。
一瞬頭を過ぎったそんな思いを商人は振り払う。商売において最も重要な事は常に最悪の自体を想定して動くことだ。そんな呑気な予想は何の役にも立たない。
だが、いくら振り払っても、その考えは商人の頭の片隅にこびりついたまま、離れないのだった。
ふぅなんとか上手くいったな
椅子に深々と身を預け、Olは息を吐いて力を抜く。一日の最後の最後に、厄介な仕事だった。
相手はこの国一番の豪商であり、組合(ギルド)の纏め役だ。こちらの一言一言に深く突っ込んできて、内心では納得しているはずなのにそれでは足らないとゴネる。かと思えば、こちらの許容できない範囲と見るや驚くほどの速度で引いていくのだ。最後はユニスと魔王の虚名に助けられた形だが、なかなか神経のすり減る仕事であった。
お疲れ様、Olっ
白いドレスをひらりとなびかせ、ユニスが労う。
ああ、お前もご苦労だった
しかし、とOlは彼女に目をやった。
ユニスがいつも着ている衣服といえば、防具を含んだ冒険者装束か、動きやすそうな長ズボン(ブレー)に上着(チュニック)、男向けのワンピース(ブリオー)のような色気のないものばかりで、スカート姿を見ること自体初めてだ。
馬子にも衣装というか。存外似合うものだな
だがその姿は、意外なほどにしっくりきていた。
お褒めに預かりまして、恭悦ですわ
恭しくスカートの端を摘んで頭を下げるその様は貴族の娘そのものである。
流石は姫君だな。今回は助かった
Olの方こそ、食事のマナー完璧だったじゃない
普段は見ることのないユニスの一面に感心して言うと、彼女は口調を戻してどこか拗ねるようにそう答えた。
何か失敗したか?事前に教わった通りに振る舞ったと思うが
流石のOlも、貴族の作法にまでは詳しくない。そこで付け焼き刃とはいえユニスに最低限の作法を習ったのだが。
皮肉なのかと捉えていえば、ユニスは首を横にふる。
あたしがあのマナー覚えるのにどれだけかかったと思ってるの。それを、あんな事前にちょっと習っただけで覚えちゃうなんて
そう言われてもな。別に俺も全部を覚えたわけではないぞ。怪しい時はお前の真似をしただけだ
そこまで含めて完璧だったって言ってるの!これだから地頭のいい人はーっ!どうせあたしはアホの子ですよっ!
ユニスは叫んで頬を膨らませると、ぽすんとOlの膝に乗った。
また妙なことを
こうして座ってくるからには本気でへそを曲げているわけではないだろうが、それでもある程度慰めの言葉をかけなければ更に機嫌を損ねるのは目に見えている。
さて、どう声をかけようかとOlが悩んでいると。
この国は、どうなるのかな
ぽつりと真剣な声色で、ユニスは問うた。
どういう意味だ?
膝に座って下をむくユニスの表情は、Olからは見えない。
Olは刃向かってきた人だけを殺して、従順になった人を残したでしょう?それで、この国は本当に保つのかって
ああ、そのことか。それなら心配はいらん。広大な国土は金の卵を生む鶏のようなものだ。絞めて卵を取り出すような愚は犯さん
くるりと振り向いて、ユニスはじっとOlを見つめる。
お前も俺のやり方は知っているだろう。今までそんな事をしてきたか?
それは知っているけどでも
ユニスは国の運営というものをよく知っている。
村や街なら一人才覚のある人間がいれば、やっていけるかもしれない。
しかし国となると、それではどうにもならない。何人もの有能な人材が必要だ。
残した連中は確かに皆無能、どいつもこいつも保身しか考えぬ腐った連中だ。だが、奴らが腐敗していられたのも真面目にこの国を支えていた者達がいたからこそ。国が沈めば己も沈む。今、奴らは必死だぞ
くくく、とOlは底意地の悪い笑みを漏らす。しかしユニスはまだ浮かない顔だった。確かにそれで心を入れ替える人間はいるかもしれないが、それでは十分とはとても思えない。
まともな連中を処刑したのが誰か覚えていないのか?
彼女の想いを察して、Olはそう尋ねた。
きょとん、としてユニスは数度瞬く。
誰ってローガン?
そう。魂の専門家だ
あっ、とユニスは声を上げた。
魂を全く損傷させることなく殺せば、肉体が灰となっていようが蘇生に失敗することはまずない。普通に殺したのでは肉体に釣られて魂も傷つくが、苦痛を感じる暇もなく一瞬で燃やし尽くしたなら
魂に傷を付けずに、保管してある?
いや
Olはニヤリと笑って、首を横に振った。
既に姿も形も変えて国の中枢に入り込んでおる。己の命も省みず国に尽くせるなどという希有な人材を、みすみす殺すわけがないだろう
文字通り魂を掌握した後なら、逆らいようもない。
そうして潜伏させた者達に仕事を徐々に引き継がせ、腐敗した中でもやる気を出した人間はそのまま使い、芽が出なかったものは改めて処分すればよい。
よかったあ
そう説明するとふにゃりと表情を崩し、ユニスはほっと胸を撫で下ろした。
幼くともやはり治世者として育てられたのだろう。
意外と心配性だな
だって、ここがOlの国になるんでしょう?
自分のことを棚においてOlが言うと、ユニスは不思議そうに答えた。
まあ、そうだが
じゃあ、あたしの国でもあるじゃない。あたしはOlのお嫁さんなんだから
当たり前のように、少女は朗らかな笑みを浮かべる。
一切の陰りのない輝くような笑顔に、Olは思わず視線を逸らした。
別に、まだ正式に結婚したわけでもないだろう。妻ということにしておけばお前を側においても警戒されることはない。ハッタリが効くから建前上、そうしただけだ
まだ。ってことは、そのうちしてくれるんでしょう?
顔を背けるOlを追いかけるように、ユニスは顔を覗き込む。
一度そういうことにしておいて、後で変えたら外交的にも問題があるしね
否定せず鼻を鳴らすOlに、ユニスはにんまりと頬を緩めた。
好きだよー、Olー
愛してるよー
わかったわかった
鬱陶しげに手を振るOlの前にユニスは回りこむ。
照れないでよーぅ
別に照れてなどおらん
こっち向いてってんんっ
ユニスの言葉が途中で止まり、くぐもった声が響いた。
ん、ふえ、ここで?
先ほどまでとは打って変わって、ユニスは恥ずかしげに目を伏せ、問う。
人払いの結界は張った。問題ない
Olが指を振ると、部屋の中を照らす燭台の火がふっと消えた。
窓から落ちる月の光が二人を照らす。
やがて伸びる影が二つ、重なった。
1.留守番小悪魔
あーもう、ぜんっぜんわかんなーい!
ベッドの上でごろりと寝返りを打ち、リルは読んでいた本を放り投げる。それは、Olが手ずから書いた魔術書であった。
はぁー
かなり丁寧に書かれていることはわかるが、難解な内容はなかなか頭に入ってこない。そもそも、人間の使う魔術は悪魔にとっては縁遠いものなのだ。
リルの魅了然り、ローガンの炎然り、悪魔には元々世界をねじ曲げる力があり、生まれたときから備わっている。むしろ魔術の方が、韻を踏んだ呪文や意味を持つ図形などでそれを模倣しているに過ぎない。
淫魔は位の低い悪魔の中では賢いと言っても、人間と比べればそう変わらない。Olの補佐のためにと努力してはいるが、それもそろそろ限界ではあった。
こうしてる間にOlとユニスがいちゃついてる気もするし~
留守を任されるのは良いが、損している気がした。
はぁ気分転換に見回りでもするかな
ベッドから起き上がり、リルは部屋を出る。Olの代わりに迷宮を治めるため、最近は見回りの頻度も減っている。ずっと部屋に籠もりっぱなしなのは性に合わなかった。
自室を出てすぐ、目の前にあるのがOlの寝室だ。戦力を増強する度に改装は深くなり、その度に部屋も引っ越していたが、この関係性はずっと変わっていない。
Olはーやっぱりいないか
ドアノブを捻れば、ガチャリと音を立ててすぐに止まる。ノックを何度かしても、返事はなかった。
リルはため息を一つつき、観念して見回りへと向かう。
あっ、リルだ、遊んで遊んでー
真っ先に出会ったのはマリーだった。彼女はリルの顔を見かけるなり、満面の笑みを浮かべて駆け寄り、抱きつく。
ごめんね、わたし今から仕事なの
ええー
不服そうに頬を膨らませるマリーを抱き上げ、肩に乗せる。
こうやって運んで上げるから、メイドたちに遊んでもらいなさい
元気に返事をし、マリーはぎゅっとリルの角を掴む。
リルはふわりと宙に身を躍らせると、南へと向かった。中央の広場を挟んで反対側に、侍女として連れてこられた娘達の住む区画がある。
あ、ちょうど良かった。えーっと、ルーアだっけ
そこに見知った顔を見つけて、リルは呼び止める。何人もいる侍女たち全員の名前は覚えていなかったが、一ヶ月ほど前に来た彼女とはよく話していた。
はい、リル様。いかがいたしました?
迷宮に連れてこられたばかりの頃は娘達は、リルの角や翼を生やした異形の姿を恐れる事が多い。しかしルーアというこの娘は最初から全く物怖じしなかったことを覚えている。
マリーと遊んであげてくれない?
畏まりました。スピナ様をお誘いしてもよろしいですか?
それどころか、侍女たちから恐れられているスピナさえ怖がらない唯一の侍女だ。
別に良いけどスピナのこと、怖くないの?
わたしでもたまに恐ろしく思うことあるんだけど、と思いながら問えば、ルーアは不思議そうに首を傾げた。
とても可愛らしい方だと思っていますが
その言葉を聞いて、リルは先日のスピナの部屋での事を思い出して吹き出す。
そうね、よくわかってるじゃない!
ぐっと親指を立てるリルに、ルーアは再び疑問符を浮かべた。
じゃあマリーのことよろしくね!
お任せください
リル、これ、あげる!
マリーが握り拳を突きだしたので、手の平を差し出す。すると、小さな石を手渡された。
ひかってきれいだから
ありがと、マリー
淡く発光するそれは魔力を大量に含んだ石、魔石だった。龍脈の真っ直中にあるこの迷宮の中ではそう珍しいものでもないが、魔力を糧にするリルにとってはおやつのようなものだ。
リルは二人と別れると、彼女達の部屋がある第四階層を離れて第三階層へと向かう。
おう、悪魔の姉ちゃん。久しぶりだな
最近忙しくってなかなか来れなくてねー