するりと影が闇の中を滑り、そのたおやかな指をベッドの上で眠る男へと伸ばす。

おとがいを撫でるようにしてついと指先を走らせ、服の襟元へと忍び込ませる。

そのまま夜着を割り開き、胸元へと手のひらを当てた瞬間。

パッと光が瞬いて、同時に複数のものが動いた。

待って、わたし、わたしよ!

両手を上げながら悲鳴のように叫んだのは、リル彼女が組み敷くようにしている男、魔王Olの使い魔であった。

その首には文字通り飛んできた空間を渡る力を持つ英雄ユニスの剣が突きつけられ、どろりと天井から滴る半スライムのスピナによって手足が拘束され、床と壁から飛び出した槍が全身を突き刺す寸前でピタリと止まっていた。

偽物ではないようだな

なんだ、リルかぁ何してんの、こんな夜中に

Olが手をすっと上げると槍の罠が壁に引込み、それを合図としてユニスとスピナも剣を収め身を引いた。

大方、新たな刺激を求めてお師匠様の隙を突き、夜這いをかけるつもりだったのでしょう

冷静に図星を突いてくるスピナに、リルはうっと呻く。

昨日、そんな肌の露出の多い服を着ているくせに、色気が足りないとお師匠様に言われたのを気にしたのですね。愚かなことです

うるさいなあもう!いいでしょ!

更に辛辣に言葉を重ねられ、リルは両腕を振り上げる。

ご苦労だった。下がれ

Olがそういうと、ユニスとスピナはおとなしく姿を消した。どのみち、今日の夜伽はリルの予定だったからだ。まさか夜も更けようという頃に密かに襲ってくるとは思わなかったが。

警報のたぐいは全部解除したと思ったのになあ

まだまだ甘いな

眉根を寄せるリルを、Olは鼻で笑う。とは言え、無事だったのは睡眠時のOlの意識に連動したもの唯一つ。彼が目を覚ますまで接近を許したという意味では誇れることではない。Olは内心、警備の強化を誓った。

ところで、その服を見せに来たのか?

気まずげに目を伏せる淫魔は、Olの言葉に目を輝かせた。

気づいた!?

気付かんわけ無いだろう

言葉面だけ見れば愛する妻への労りに聞こえるその言葉も、実際には呆れが多分に含まれていた。

普段彼女は、殆ど下着同然としか思えない、申し訳程度にしか身体を隠さない服を着ている。だが今は、その上半身を見慣れない服が覆っているのだ。それに気付かない者がいるなら、その目は節穴と言う他ない。

魔界で最近流行ってる服なんだけどねー。可愛くない?

よくわからんが、お前が着方を間違っていることだけはわかる

おそらくは、夜着や室内着の類なのだろう。ゆったりとした長い袖の服は、しかし豊満なリルの双丘に押し上げられて胸の部分だけが裂けんばかりに張り詰めていた。そして上半身はほとんど余すところなくその服に覆われているのに、下半身はいつもの通りの下着姿だ。その服に関する知識のないOlでも、本来上下一揃いであろうことは予想できた。

セクシーじゃない?

どちらかと言うと、野暮ったい

Olの率直な意見に、しかしリルは不敵な笑みを浮かべる。

これでも?

そういいながら、彼女は襟首に突けられた金具をゆっくりと引っ張った。ジジジ、と独特の音を立てながら、服の襟元が開いていく。ボタンでもホックでもない、初めて見る留め具にOlは目を見張る。

しかし一瞬後には、その目は別のものに奪われていた。

大きく開いた襟から覗く、真っ白な谷間にだ。

どう?

ぺろりと舌を出し、リルはベッドに片手を突いて、殊更に胸を強調するように持ち上げながらOlの眼前に突きつけた。この小悪魔の思う壺とはわかっていても、Olはその魅惑から逃れることが出来ない。

己の利のために媚びているならともかく、夫を悦ばせようという一心での行為と知っていれば尚更だ。

まあ、悪くはない

Olは憮然とした風を装いながら、妻を抱き寄せ、その企みを存分に味わった。

序話新たな冒険を始めましょう

白い砂を踏みしめて、男は思わず感嘆の声を上げた。

砂浜の向こうには広大な平原が広がり、彼方には森が、そして美しい山脈が聳え立っている。

見たこともない草木や花々が生い茂り、聞いたこともない鳥の鳴き声が響き、風の匂いさえ違うもののように感じられる。

どちらかと言えば安定を好む彼をして胸を高鳴らせる、未知の塊がそこにあった。

オ~、ウ~、ル~

そんな彼に、未知とは真反対の聞き慣れた声がかけられる。恨めしげな声に視線を向ければ、見慣れた姿の使い魔がよろよろとした様子で船から降りてくるところだった。

どうした、船酔いでもしたか?

悪魔が船酔いなんかするわけないでしょっ!そうじゃなくて、わたしの作った魔動船に何したの!

淫魔はびしりと船を指す。魔力で動くその船は彼女が設計した力作であり、言い換えれば彼女自身の子にも等しい。

ああ。航海は長くて暇だったからな。住みやすいように作り変えてみた。船の機能自体には問題ないから気にするな

船室をダンジョンにされて気にしないわけないでしょ、このダンジョン馬鹿ーーーーーっ!

リルの叫び声が、新しい大陸に響き渡った。

新大陸?

ことの起こりは、一年ほど前のことだった。

そうだ。まあ便宜上の名前で、土地としてどちらが新しいかはわからんがな。ともかく、我々の住んでいるこの大陸から遥か東海を隔てたところに、巨大な陸地があるという事がわかった

ばさりと広げられた地図を覗き込む顔は五つ。

リル、ユニス、スピナ、メリザンド、そしてOl。

魔王の国を動かしている、国の核とも呼べる顔ぶれだ。

あっ、あたしが前、空の上から見たやつだ

王妃となったユニスは、生まれたばかりの子を抱いてあやしながら声をあげる。

結構遠いのね

指で新大陸までの距離を計りながら呟くのは、忠実なる使い魔のリル。

いよいよ別の大陸にも打って出る、という事ですね

魔王の第一の弟子、スピナは意気込んだ様子で表情を引き締める。

大陸全土を支配し、安定もしているのだ。わざわざ危険を冒す必要はあるのか?

元聖女であり片腕であるメリザンドは、Olの意図をわかっていてあえて尋ねた。

攻めこむというわけではない。むしろその逆だ

逆ですか?

目を瞬かせるスピナに、Olはうむと頷く。

我々は新大陸の情報を全く持っていない。ここに陸地があるということしか知らんのだ。いつかは必ず、彼の地に住まう者たちがこちらに侵攻してくるだろう。そうなる前に情報を集めておかなければならん

防衛のために偵察ってことだね

ユニスが嬉しそうに声を上げる。

となれば迷宮ごと、というわけには行かないか

無論だ。距離の問題もある

Olの作り上げた迷宮は大地の下に横たわる地の迷宮と、空をたゆたう天の迷宮とに分かれている。天の迷宮は自由に移動できる大拠点だ。他国に攻め入るならこれほど優れた兵器はない。

が、その巨大さと空をとぶことから、とかく目立つという欠点があった。新大陸で目撃されては秘密裏に情報を集めるのは不可能だろうし、こちらの大陸を完全に不在にするわけにもいかない。

少数の人員を、船で送り込む。リル、少人数でも操れる船は作れるか?

勿論。任せといて

リルの専門は魔兵器の制作だ。砲や火矢のみならず、乗り物もその範疇だった。

でも、誰が行くの?

ユニスは素朴な疑問を呈する。未知の新大陸へと渡り、情報を集めてくる。重要かつ困難な任務だ。出来そうな人材は極めて限られていた。最も向いていそうなのはユニスだったが、生憎と彼女は子育てに忙しい。愛情深い王妃は、己の息子の世話を侍女に任せきりにする気など毛頭なかった。

そうだな。高い判断力を有し、あまり目立つことのない容姿で、できるだけ汎用性の高い能力を持ち、ある程度戦闘も可能で、万一死んでも失う危険性のないものが望ましい

そんな人いたっけ?

リルは配下の顔を思い浮かべながら、指折り数える。

エレン、セレスたちアールヴは生存能力も戦闘能力も高いが、判断力に少し難がある。

その点ナジャ、Shal、ウィキアの元冒険者組はその経歴だけあって頼りになるが、死んでしまう可能性が無いとは言えない。

悪魔のローガンはもし死んでも魔界に帰るだけだが、その外見はあまりに目立つ。

獣使いのミオは非常に強いがその能力はあまりに獣に特化していて、人間相手の情報収集は難しそうだ。

Olの挙げた条件をすべて満たすものは、人材豊富な魔王軍といえどもなかなかいないように思える。

ああ、一人だけいる

Olは親指でぐっと己の胸を指し、言った。

俺だ

第1話じゃじゃ馬娘を躾けましょう-1

この辺りでいいか

そう言ってOlが足を止めたのは平原の境、鬱蒼と茂る森の入り口だった。

ん、焚き木集めてくる?それとも、食べられそうな木の実か動物でも取ってこようか?

別にここで野営をするわけじゃない

張り切るリルに、Olは呆れて声をあげる。

ここに、ダンジョンを作るんだ

ええーまたダンジョン?一から?

露骨に嫌そうな顔をするな

端正な顔をしかめてみせる使い魔に、Olは懐から小瓶を取り出した。

今回はこれを使う

なにこれ。小型のダンジョンコア?

本拠地にあるダンジョンコアは、今やリルすらどれほどの大きさになっているかわからない。しかしOlが取り出したそれは、手の平にすっぽりと収まる程度の大きさだった。

基本的な機能は同じだ。魔力を貯蔵し、自由に取り出せる。だがこれにはそれに加えて、一つ能力を与えてある。ダンジョンシード、とでも呼ぶか

ダンジョン、シード?

オウム返しに繰り返すリルに頷き、Olはダンジョンシードを地面の上に落とした。途端、地面がぐねぐねと蠢き、ダンジョンシードは大地の中に潜り込んでいく。

わ、わ、なにこれ!

俺の使う迷宮魔術。それを用いて半自動的にダンジョンを作り出す、一種のゴーレムのようなものだ

ダンジョンシードは大きく穴を穿ち、どんどん地中深くへと洞窟を掘り進める。その壁面が輝いたかと思えば、掘り抜かれたままの土壁は箒で掃かれるようにしてレンガ壁に作り変えられた。

事前に仕込んだ魔力を使って迷宮を広げつつ、そこから魔力を収集して更にダンジョンを大きく広げていく。まあ龍脈に突き当りでもしない限りは収集量より消費量の方が多いだろうからじきに止まるだろうが、仮の住処としては十分だろう

凄い凄い、これがあるならもう自分でダンジョンの設計とかしなくていいのね!

いや、そうでもない

興奮を露わにする使い魔に、主は冷酷に首を振った。

自動的に作られるということは、そこには一定の法則性があるということだ。計算に依ってのみ成り立つダンジョンには、人間の悪意が足らん。侵入者を騙し、陥れ、その心を挫く悪意がな

はいはい、あなたの底意地が悪いのはよーーーーく知ってるから。そんなことより、さっさと入ってみましょうよ

いまいち理解を得られていない気がしたが、Olはリルの言葉に従って迷宮の中に足を踏み入れる。

ほら、結構素敵じゃないの

まるで新居にはしゃぐ新妻のような調子で、リルは地下回廊の中を軽やかに舞った。

まて様子がおかしい。ダンジョンシードが上を目指している

基本的に、地中の魔力というのは深いほど濃い。それ故、ダンジョンシードは放っておいても深く深くへと根を張っていく。ところが、Olが進む通路は途中から傾斜角度を変えて、上方へと続いていた。

えっ、何か

言った?と続くはずだったリルの言葉は、物理的に遮られた。

突如通路を埋め尽くした、植物の根によって。

ちょっと、なにこれ!ダンジョンシードの根っこ!?

いやこれは、本物の植物の根だな。だが無関係というわけでもない

ダンジョンシードは周囲のものを利用して、ダンジョンを作り出す。通常は地面即ち土そのものだが、場所によっては砂や岩、金属の鉱脈など、様々な物質が織り交ざることを想定して作られている。勿論そこに、木々も含まれていた。

この樹はどうやら、魔力を蓄える性質を持っているようだ。それで、ダンジョンシードは地下ではなく地上へ向かっていったのだな

冷静に言ってる場合かーっ!ああもう、Ol、ちょっと下がってて!

根の壁越しのリルの言葉に従って下がると、ややあって爆発音が鳴り響き、隙間から煙とリルが盛大に咳き込む声が聞こえてきた。

何この樹、めちゃくちゃ硬いじゃないの!石火矢を使っても傷一つつかないってどういうこと!?

迷宮の壁だからな。そう簡単に壊されるわけなかろう

威張るなー!

Перейти на страницу:

Поиск

Нет соединения с сервером, попробуйте зайти чуть позже